元ディレクターが未経験でデザイナに転身したときにやったこと(前編)

こんばんは。すっかり年の瀬ですね。
今年は職種が変わり、環境も変わり、様々なことが起こった1年でした。
みなさんは、どんな1年になりましたか?

今回は「元ディレクターが未経験でデザイナに転身したときにやったこと」を
前編と後編に分けてお届けします。
デザイナを目指している方の参考になれば幸いです。
(主に前編はデザイナになるまでの経緯なので、後半の方が身になる話かもしれません...)


《これまでの経緯》

◆ペパボ時代
2011年、新卒でGMOペパボに入社し、
カスタマーサポートを経てEC事業部のディレクタに配属。
主に特集、メルマガ、数字を見たりしていました。

仕事もですが、チーム内のコミュニケーションを潤滑にしたいと思っていました。
誕生日ランチの幹事だったり、ちょっとした気遣いだったり、
誰かがやらないといけないけどちょっと面倒。
でもやったらきっとハッピーになるみたいなところに注力していた気がします。

ペパボには、インターン含めると約3年半ほどいました。
インターネットサービスが大好きな人たちがたくさんいて、
色々なことに関わらせてもらい、本当に有難かったです。
右も左もわからないようなひよっ子でしたが、
丁寧なOJT、気負わないフラットな社風、同期の存在(最高)に何度も救われました。
離れたときよりも離れて1年ぐらい経ってから、いい会社だったな...という実感が湧いています。
何よりもみんな自社のサービスが大好きで、「いいでしょ!」と胸をはっている。
これがどれだけ素晴らしいことなのか、転職してみて「すごいことだったんだ」と実感しました。
ペパボにいたときはそれが「当たり前」だと思っていましたので、
中途で入ってくる人がカルチャーショックを受ける様子が、当時新卒だった私は疑問でした。

自社のサービスを愛して、使って、周りの人に積極的に薦めるということを、
スタッフが率先してやっていくという文化は、会社が10年、20年も続いていくための
大事な原動力になるものなのだなぁと思ったのでした。
"ファンを増やすには、まず自らがファンになること"の大事さを強く感じました。
いい人たちと働きたい人はここをチェック!

◆いま
某IT大手企業でデザインとコーディングを担当。
特集ページのデザインや、アプリアイコンの作成、キャンペーンバナーの作成などの制作業務がメインです。
アシスタントデザイナとして入っているため、細々とした業務を請け負っています。
(その前は別の部署で半年間ほどディレクタを担当)

《なぜ転職してデザイナになったの?》
ここだけの話、本当はweb業界から離れようと思っていました。
ペパボ(福岡時代)にZINEという手作りで本を作るイベントに参加していて、
紙などのアナログな媒体に興味を持ちました。
インターネットだけじゃなく、もっと広い媒体で伝える仕事ってなんだろう?と
考えるようになったときに見つけた、あるPR会社。
媒体をとわず、クライアントに最適な手法を届けるという感じの業務内容を知り、
これだ!とグッときて応募。応募した段階で退職届を提出。

その会社に入る気満々で前のめりで選考を受けました。
熱意が通じたのか選考は進んだものの、まさかの最終選考で落ちてしまい...
一瞬途方にくれましたが、ここでポジティブ脳が発動。
生きてるし、大丈夫。

次の仕事が見つかるまでは短期のバイトをやってみよう!と思い立ち、
今まで経験したことのないような短期バイトをやりました。
いろんな世の中を垣間見ました。

競輪場に来ているおじちゃんに某ケーブルテレビの加入案内の営業や、
舞台で配られる大量のパンフレットをまとめる仕事や、
高校生が集う大学案内の誘導係や、
ビールフェスのレジ打ちや、
某携帯会社のキャンペーンガールなどなど...。

(学生時代、経験しなかったようなバイトの数々を社会人でやるとは思わなかった...!)
(自分でいうのもなんですが、変なところでフットワークが軽くなるのが謎です。)

まだ残暑の厳しい夏の日、ドイツのヨーデルクイーンの歌声と、
ビールがカチカチカチーンとかち合う陽気な乾杯を、1日に何十回も聞きながら、
ビアガーデンのレジ打ちを大学生の子と一緒にしたのはいい思い出です...。

色々なバイトを経験したことで、インターネットが普及していない場所の多さに気付かされました。
インターネットを中心の生活を送っている私にとっては衝撃もありました。

普段何気なく使ったり受け取ったりしているものが、人の手によって作られ、動かされている。
舞台のパンフレットは、舞台を観るたびに大量に渡されるので
どうにかならないかなぁと思っていたのですが、
こんなに時間をかけて苦労して1つの束になってまとめられていたなんて..と
見る目が変わったのを覚えています。

そして普通は次の会社を決めてから辞めるものだよ〜と笑われましたが、
気持ちが走り出したら止まらなくなるタイプの私。大反省。
(新卒で入ってたくさんお世話になった会社で、次を決めてからやめます!
という気持ちにならなかった、という想いもあります。)

いま考えると笑い話ですが、当時は生きるのに必死でした。
同時に社会の厳しさも味わいました。

でもその結果、本当にやりたいことをできるようになったので、
PR会社に落ちた出来事は分岐点だったのではないか...と考えています。

そして気持ちを切り替えたのち、派遣で大手企業に入りました。
業務になれてきた頃、ふと考えます。

「いままでやってきたことは、本当に自分のやりたかったことなのか?」

インターネットが好きだし、仕事も楽しかった(辛いこともあったけど)
ディレクタになったときは心底嬉しかった。

でも、指示を出したり進行や管理しているときに、心のどこかで引っかかりがありました。
もしかしたらそれは作る側の人がすごく羨ましかったんじゃないか、とよぎったんです。
福岡で働いていた頃、ZINEを作るためにはじめてIllustratorを使って
データを入稿したときのものすごいワクワクした気持ち、
できあがってリリースする特集のデザインを見て、
私だったらどんな風に作るかなと思う気持ちを思い出しました。

もしかしたら、今からだってできないことはないんじゃないか。
いや。でも...もう遅いかもしれない。
26歳の誕生日を迎えようとしていた頃でした。

新卒でデザイナになっている子は23歳ぐらいからのスタート。
遅咲きの子でも美大出身でグラフィックやっていたり。

26歳、普通の4大、まったく知識なしの私がいきなりデザイナになるなんて、
富士山登ったことないのに1年後にエベレスト登頂を目指すぐらいハードルが高かった。

そんなもやもやと悩んでいるときに信頼している人に相談をしたら、
「まずはやってみたらいいんじゃない?というより、もうやるって決めてるんんじゃないの?」
と言われました。
その一言で後押しされ、
そうだ、考えるより先にやってみればいいんだ。と一気にやる気に満ち溢れます。

作る側なんて絶対なれないだろう。
美大にも出てないし、デザインの学校にも通っていないし...
心のどこかでそんなコンプレックスを抱えていました。(当時は)
でもそれは言い訳だったなぁ...というのに気付きました(今もコンプレックスはあるのだけど)
そこから独学で勉強をはじめて、今年の春からデザイナとして働くことになりました。

身の上話で前編が終わりました...。
後編で参考になるようなことを書きたいと思います!